PROFILE
私たち”谷本家”について
妻のえり香が18歳、旦那の吉紹が24歳の時に出会う。
出会った当初の互いの印象は、”派手な女”、”恐そうな人”といった決していいものではなかった。
その後互いに起業し、ともに成長し合う関係性を育んできた。
そんな谷本夫妻が何を志し、子供たちに何を伝えていくのか。谷本家となった軌跡を紹介していく。
実業だけでなく、谷本家として情報発信し始めたきっかけは夫婦ともに経営者である私たちの生き方を通じて、子どもに何を遺せるのか考えたことでした。
「父や母の様になりたい…だから経営者になる」と幼い子ども達は言ってくれています。
ただ、親としては仕事は『自分の好きな事』をして欲しい。
それが1番、輝き無我夢中に邁進出来て『人生の成功』だと考えています。
仮に自分の好きな事が経営になればそれはそれで素晴らしい。
社会を知り、己を知り、経験を重ね、知恵を持つ。
お金持ち=お金を増やす事が出来るヒト、と理解してお金を増やす為に必要な知恵や経験を遺した想いを惜しまずに伝え続けます。
そして、我々が経営を継続出来ているのはパートナーだからと言えます。個人では完璧とは言えない経営者に必要なスキルを2人で補いあっています。
完璧でなくとも、カネ、コネ、人脈、学歴無しでも…、一緒に夢を見られる方との出会いで人生は大きく変わります。
公私ともにパートナーとして補いあいつつ支えあう、完璧では無い2人だから夫婦でセットで発信します。
私たちの人生が子どもだけでなく、誰かの人生の背中を押すことを願って。
1985年1月19日生まれ
株式会社A-clear 代表取締役
株式会社ビラクスの代表取締役就任
その他グループ企業6社 経営サポート
厳格な家庭で真面目な母の背中を見て育つ。
父は仕事で家にはあまり居ないが厳しかった。
中学1年生の頃大好きだった祖母が他界したことをきっかけに反抗期に入る。
「勉強しなさい」「もっと真面目に生きなさい」という家族からの言葉に対して反発し、勉強もせず外で遊ぶことが増え、成績も低下。見た目も派手に変化した。
家に居ても叱られることが増え、居場所がないように感じて、益々家に帰らなくなった。
その頃、大好きな音楽を通じて繋がった友達とライブに行ったりすることに生きがいを感じ、歌手になるという夢を持った。
高校を卒業する頃には、好き勝手するのだから親には頼らないというポリシーからバイトをしながら歌手になる夢を追いかけた。
その後吉紹と出会い、経営するという夢を聞き、『彼を1番にしたい!』という想いが芽生えた。その出会いを機に歌手の夢を諦め社会人経験もないままにビジネスの世界へ飛び込んだ。
甘くないビジネスの世界で、当初はパソコン操作すらできなかったが『社長の彼女だから…』とは絶対に言われたくないという想いからえり香は誰よりも努力した。
そうしていくうちにいつしか社内で名実ともにNo.2となる。
座右の銘は『持って生まれた才能より努力こそが最終結果を残す。』
1979年2月28日生まれ
株式会社エースタイル代表取締役
大阪初女子硬式実業団野球チーム設立
FM大阪ラジオパーソナリティ
6社のグループ企業の経営管理
裕福な家庭に生まれ、厳格な父により英才教育を受けさせられ育ち幼少期には『医師になる』ことを夢に描いた。
英才教育のおかげもあり高校偏差値が74の私立清風南海中学校に入学。
しかし、1992年に父が蒸発した。14歳の頃に思春期を迎えた頃には遊び始める。
母子家庭だったこともあり、ひとまわり下の弟の存在も考え幼少期の夢は挫折したがその後に起業を目指す。
知人から『経営者になるなら雇われた方の気持ちがわかる様に社会人として雇われる経験もしなさい』とアドバイスを受け、管財物件売買専門不動産会社に就職。
2001年4月、エースタイル前身になる組織を創業しその後、2007年2月に株式会社エースタイル設立し人材派遣業、物理事業を始める。営業請負にて通信回線や宅配水、太陽光発電システムなど扱う全ての商品にて関西を代表する販売結果を残す。そんな時、『明日、自分の会社がなくなって困る方はどれくらいいるんだろう?』と疑問を抱く。そんな経緯からビジネスとは社会貢献であると気づき、身近な社会的課題である『少子高齢化』の解決を一躍担う事業をしようと決意した。
2015年2月 介護、福祉、看護、医療の様々な事業を開始
2018年 大阪初女子硬式実業団野球チーム設立
2019年6月 自身がパーソナリティを務めるラジオをFM大阪にて開始
2021年6月 前澤友作さんと医療、介護、保育、福祉業界従事者に1000万円のお金贈りを実施。現在、大阪府内に介護や看護、医療や福祉の施設を30拠点以上展開し、6社のグループ企業の経営を管理している。